月 七海 (つき ななみ)の備忘録

#カナダ #高齢出産 #双子妊娠 #双子育児 #国際恋愛 #海外生活 #英語勉強

23w5d ひきこもっているのに人間関係でストレス

無事にすべて終わったら、書こうと思っていたことだけれど、

出産をすると、女性はどうやら、体が変化するだけでなく、脳もちょっと

変わって、考え方も変わる、らしいというのを聞いて、今のうちに

書いといた方がいいのかな、と思っていたら、丁度タイムリーな事象が起こった。

 

会社の人から、

ビニ(仮名)が、今日、新生児を連れて職場にくるので、ビニにも

あなたのマタニティリーブのことを伝えてもいいかしら?

という内容のメッセージが届いた。

 

ビニは同期、というか、同じ日に雇われ、研修を受け、初めは別々のところに

配属されてたんだけど、私が配属されているところの方が、良かったらしく移動を希望して後から一緒に働くようになった経緯がある。

もともと私の方が時間も長く働いていたので、同期だけど、彼女よりもセニョリティ(シフトの選択権などが優先される)が上で、なんかしらんけど、目の敵みたいにされてた。イギリスが昔、植民地にしてたとこの出身で、アクセントは強いけど、英語が公用語なので、私よりは全然みんなとコミュニケーションがとれてるのに、私の方が待遇が良いのも嫌だったのかもしれない。

もともとお子さんが1人いらっしゃって、溺愛してるらしく(当たり前か…)子供の話ばかりする人だった。ただ、ほほえましいとか面白いエピソードとかそういうのでは

なく、オチもなーんにもない話(主に苦労話)をひたすらダラダラするので、私自身も違和感を感じていたけれど、他の職員も、彼女の話が始まったら、他の仕事をやり始めるとか、ちょっと逃げだす感じになっていた。

 

よく遅刻するし、居眠りしてるし、最悪なことには手癖も悪く、人としてちょっと

全然親しくなりたくなかった。色んな自慢話をすることも好きで、金のネックレスとかを職場にもってきて、100%ゴールドなのよ!とか、着ている洋服とかもわざわざ、

この服、アメリカに言って買ったのよ!とか、言われるたびに私は、すごいね、きれいだね、良かったね、と言っているのに、逆に、私が職場から奨学金をもらえることになった話をすると、きれいに口がへの字に曲がり、眉をしかめ、明らかに不快感を示していたので、二度と自分の嬉しい話はしないでおこうと思った。もともと、勉強したかったら、職場から奨学金がでるよっていう情報シェアのつもりだったのに。

 

そんなビニと私は、今年の初め、同じころに妊娠が発覚した。私は春のシフトを選ばなきゃいけない時期まで、誰にも言わずにいた。シフトの選択ミーティングで、ごく一部の人に今回のシフト選択は大分変更を余儀なくされる旨と理由(妊娠)を説明した。

でも、私は2日後流産した。1週間お休みをいただいて、職場復帰。こそっと、誰かに

ビニが妊娠していることを告げられた。それ自体は、フツーに良かったね、と思った。

私自身は残念だったけど、自分のこととは全く関係のないことだから、と思った。

 

むしろ本能だろうか? 色々大変だろうと、極力彼女が動き回らないで済むように、電話を取らなくて済むように、ビジター対応も積極的に私がこなした。

それに妊婦さんのお腹を触ると、自分も妊娠する、みたいな迷信をどこかで試してみたいと思っていたので、いつかお腹を触らせてもらおうという目標を掲げ、いっぱい

必要以上に手伝ったり優しくしていた。

 

な、の、に、ある日、彼女が嬉しそうに言うのである。

「私は妊婦よ~、でもあなたは妊婦じゃないのね あはは。」

びっくりした。もともと話は面白いひとじゃなかったけど、まったく不可解な

セリフを言って自分で笑ってる。私が妊婦じゃないのが嬉しいんだ?

意味が分からない。

まだ流産のことを色々引きずっていた私にとっては、ただただ悲しい一言だった。

こんなやつのお腹なんて触らなくていいやって思った。

(でも、カルマを信じているので、優しくお手伝いすることは続けたョ。)

 

改めて真逆だなって思うのは、私は今回の妊娠で、突然気分が悪くなって働けなくなったり、病院のために職場を抜けたり、周りに気を遣わせたりしなきゃいけないことに

すごく抵抗があり、早々と、シックリーブを決め、かなり早い段階で職場から離れた。

ビニはぎりぎりまで、職場に来てたけど、今朝は吐いたとか、夜眠れないとか、アメリカに旅行に行こうかどうか迷ってるとか、自分がいかに大変な妊婦生活を送っているかを毎日のように語っていた。さらには権限のある人に頼んで、椅子に座るのを楽にするための妊婦に優しい足置きみたいなのを買ってもらっていた。

別に他人(ビニ)がやる分には、それでも、はいはい、聞いてあげなきゃねー、助けてあげなきゃねー、という広い気持ちでいられたけど、いざ、自分がその立場になると、そんなことよーせんわ。という気分。職場のひとにプライベートなことで、構ってもらいたくなんてない。注目なんてされたくない。これは日本人的なのだろうか。

 

東京にいたので、働いていると、子供のいない女性なんて当たり前のようにたくさんいた。子供は大好きだし、いつか絶対欲しいと思っていたけれど、いなければいないで、できることはたくさんあると思っていた。いなければいないで、自分でビジネスを立ち上げて活躍してる人や、世界を旅しながら好きなことをされている方を見ると、すごい楽しそうだなと思うし、それも大きな価値なのだと思う。

 

堀江貴文さんの著書「これからを稼ごう 仮想通貨と未来のお金の話」の中で、

”先進国では子育てをするよりも楽しいエンターテイメントが多く存在している。労働するばかりで、今と比べて圧倒的に娯楽も少ない時代では、子育ては労働力の確保のためでもあり、エンタメでもあったのだ。”

とあるけれど、私の住んでる街はエンタメが圧倒的に少ないのか、発展途上国からの移民が多いのか、子供ができることにすっごく大きな価値を持ってる。

子供は確かにすっごく大きな価値を持ってるし、それはそれで良いことだと思うけど、いけないと思うのは、子供がいない人に対して、いる人が嫌味をいったり馬鹿にしたりみたいなことがあっては絶対ならないということ。価値は人それぞれ違うんだから。子供がいない人を笑うなんて、子供がいたってその人はなんか、哀れだと思う。

 

もう一人、ベシ(仮名)という、アメリカ14年カナダ15年、って合計で30年近く北米にいるのに、母国の人ばっかりと一緒にいるのか、アクセントが強すぎて何言ってるのかよくわからない東南アジア系40代の女性がいたんだけど、あとから入ってきたのでセニョリティが低く、あんまり自分の好きな時間帯が取れなかったのが不満で別の部署に異動が決まったとき、私のところに、やってきて、

「あなたみたいに子供がいなかったら、私もあなたみたいなシフト選択ができたのに!」と、いかにも、言ってやった感丸出しの、にっや~という汚い笑顔を見せられたので、「そうだね、あはは。」と私が笑顔で返したら、

あなたみたいに子供がいなかったら、私もあなたみたいなシフト選択ができたのに!」と、子供がいなかったら、のところをやたら強調してまた同じことを言うので、

子供がいることってなんか、そんな使い方すんの?って結構びっくりした。

 

日本で働いているときは子供のいる女性って、すごい優しい人が多い印象を受けて、憧れてたんだけど、

こっちに来ると、なんか結構、逆な感じの人をみるような気がする。

これは、自分でその価値を選択して、というよりは、他にエンタメがないから、とか、そういう文化だから、ということで、その価値に自分の頭で疑いをもたず、結婚して子供を作った結果の違いなのだろうか。

 

なので、初めに戻るけど、会社の人からの「ビニにあなたの妊娠のこと言っても良いかしら?」

っていうのは、もちろん、ノーと返事。私のハッピーニュースなんて全然喜ばないから。大体、マタニティリーブ中の人になんで、そんなこと言う必要があるの?って感じだし、会社の人は私がビニのこと苦手なの知ってるし、なんでそんなこと訊いてくるんだ?? むしろ、会社の人たちのゴシップ作りに利用された感がある。もう、そっとしておいてほしい。なにより、まだまだあと3ヶ月はあるんだよぅ。

 

 

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